お宝探求 <7> 7-2補足-コンスタンティヌス帝治世の辺境地防衛について


    コンスタンティヌス帝時代の軍事改革について

    A.D.337年コンスタンティヌス帝の死亡後
    優れた皇帝を輩出していないにもかかわらず
    ゲンルマン人大移動までローマ帝国を持ちこたえさせることができたことを考慮すると
    異民族の侵入対策や国境周辺地域の防衛技術がいかに優れていたかを証明してくれています。

    コンスタンティヌス帝時代の軍事改革は
    中央軍(野戦部隊、コミタテンセス)と国境警備軍(辺境部隊、リミタネイ)
    を明確に分離・配置することで軍事的な効率をあげることに成功した言われています
    プラエトリアニ(親衛隊)を解体しプラエフェクトゥス・プラエトリオ(親衛隊長官)の軍事的機能を消失させましたが
    ガリア・イタリア・イリュリクム・オリエンスの4つの道(行政区)の長官として、皇帝にとって信頼できる高官(文官)としての役職を担わせました。
    国境警備軍は各地の辺境属州の国境に常駐して敵を一時食い止め、マギステル・ミリトゥムなどが指揮する騎兵部隊が現地に急行し敵を殲滅する作戦スタイルに変更したのです。
    基本的には国境警備軍が国境地域の安全を守り、中央軍は帝国の中心部の属州に駐留し、敵の大規模な侵入や対外的な遠征などの主力として活用されました。

    マギステル・ミリトゥム(ラテン語: magister militum, 軍司令官、総司令官、軍務長官)は、コンスタンティヌス帝の治世に創設された高位の武官です。
    次の2組織の上位の役職となります。
    ・歩兵部隊を率いるマギステル・ペディトゥム(magister peditum, 歩兵長官)
    ・騎兵部隊を率いるマギステル・エクィトゥム(magister equitum, 騎兵長官)


    参考:リメスについて

    ユネスコの世界遺産に登録されている「ローマ帝国の国境線」。
    その遺産であるリメスはラテン語で境界を意味し、英語の「Limit」の語源でもあります。
    軍隊の駐屯地を中心とした防衛範囲を意味します。
    ゲルマン民族の侵入からライン川・マイン川流域の土地と通商路を守る目的でリメス建設が行われました。
    ローマ帝国初期 アウグスティヌス帝によって始められ
    全長580kmを越えるリメスの全容が完成するにはハドリアヌス帝の時代まで待たなければなりません。
    ディオクレティアヌス帝やコンスタンティヌス帝は
    このローマ帝国の国境線城砦をどのように活用したのでしょうか。
    この時に建設された物見櫓,砦も当然のことながら利用されていることでしょう。
    余談となりますが
    1937年のドイツ第三帝国時代に14巻にもわたるリメス研究報告書が作成されています。