コンスタンティヌス大帝(Constantine I)
Gaius Flavius Valerius Constantinus
コンスタンティヌス大帝のページを御覧いただき有り難うございます。
シリーズごとにカタログを編集していく予定です。

コインカタログとシリーズ紹介

☆DAFNE(ダフネ)について 
☆DAFNE(ダフネ) シリーズ(RIC VIIカタログ)
☆ソル神について
☆SOL(ソル)神 シリーズ(RIC VIIカタログ)
☆CampGate(キャンプゲイト) シリーズ(RIC VIIカタログ)
☆軍団旗 シリーズ
☆VOT  シリーズ
☆VLPP  シリーズ

コレクティング必須情報

☆バスト タイプ

ローマ帝国 造幣場所MAP

☆313-337年 コンスタンティヌス大帝時代
☆294-313年 テトラルキア時代

キリスト教と4世紀のローマコイン

キリスト教勢力が現在の地位を獲得するに至った初期段階の活動のひとつとして プロパガンダが目的で皇帝が発行する膨大な量のコインに着目し活動を始めています。 現在でも当時のコインにクリスチャンモノグラムがデザインされたコインを確認することもできますがその数量は非常に少ないようです。
コンスタンティヌス大帝自らクリスチャンモノグラムをコインにデザインするよう指示をしていたとすれば他のコンスタンティンのコイン同様に現在の古代コイン市場で多く見かけることができるはずです。
スピンク社から出版されているローマ皇帝コイン(RIC)による情報確認ですが,そのコインの発行期間が非常に短かかったことがわかります。(当時は、まだまだ古来のローマの神々が主流でした。) コイン発行責任者の中に熱烈なキリスト教徒が出現したおりにクリスチャンモノグラムを挿入したのはないかと推測されます。
コンスタンティヌス大帝は、その行為を大目にみていたのかコイン発行責任者を処罰した形跡はありません。それらのコインは、310年代から帝がこの世を去る337年の間に17箇所ある造幣場所の中のほんの数箇所においてのみ発行され発行時期も限られています。しかしながら歴史的な大転換は、ここから始まったのかもしれません。310年代は、不敗の太陽神ソルを描いたコインが西部ローマ帝国において数多く発行されているのです。そしてそのソル神の横に大胆にも十字架を描いたものが登場してきます。このことが何を意味するのか必要以上に語る人はいません。
この時期に発行された歴史を語るコインに現在のコレクターがその存在をほおって置くはずもありません。絶大な人気を誇っているのです。参考までに金貨は別にしましてブロンズコインで50万円以上もするコインが出現しています。このことは、大帝が基本的にはクリスチャンモノグラムが描かれたコインの発行を認めていなかったことを意味しているのではないのでしょうか。
ビザンツ帝国時代にはいりますとクリスチャンモノグラムのコインは、常識化されたデザインのごとく描かれています。もうこの時期には、キリスト教は完全な勝者としての布教活動をしていたことがコインによっても確認することができます。

コンスタンティヌス大帝 小史

コンスタンティヌス帝(306-337A.D.) 
コンスタンティウスT世とヘレナとの間にナイッソスの地で生まれています。
アウグストゥス帝以降において初めて30年に及ぶ統治を行った最初の皇帝です。
四分割されていたローマ帝国は、降伏したリキニウス帝を325年テッサロニキアで処刑することで再度統一されることになりますが330年コンスタンティノープルへの遷都によって以前のようなローマ中心の帝国運営ではなくなります。
宗教政策においても313年ミラノ勅令を発しキリスト教を公認、その後の数々の支援策を実施したことでキリスト教勢力拡大に大いに貢献します。(キリスト教徒から大いなる評価を受け歴史的に大帝と呼ばれる由縁) 歴代皇帝の中でも軍事的、政治的、経済的にと多岐にわたって秀でていましたが東洋的専制君主となった大帝は、326年長男クリスプスや皇后ファウスタの処刑などいくつかの暴政を行ってしまいます。そして337年ニコメディア近郊のアンキュロナでこの世を去ります。
参考
 コンスタンティヌス朝 年表







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