お宝探求 <7>7-1補足-軍事的建築物について


    1.ニコメディアmint295年発行の軍事的建築物について
    ディオクレティアヌス帝が
    自ら統治したニコメディアにおいて発行したコインで検証します。
    RICカタログ第6巻のRIC VI 18とRIC VI 21のコイン裏面を比較しますと明らかな意図を持ってデザインされていることがわかります。
    お宝探求 <7>2-1 RICカタログ mint別 建築物の記述一覧 から抜粋
    NICOMEDIA  archway in six-turreted enclosure RIC VI 18---295年
    NICOMEDIA  campgate RIC VI 21---295年
    RIC VI 18とRIC VI 21の画像は
    お宝探求 <7>-5 ディオクレティアヌス帝 デザインの異なる建築物コインを発行の中の
    @,Bの画像とほとんど同タイプのものです。
    参考画像は  こちらへ
    six-turreted enclosureとcampgateでは建築物の規模が異なることを指し示しています。
    前者はcitygateもしくはカストロのような大規模な砦
    後者は小規模な砦
    このことから
    小規模の砦も囲いは築きますからenclosureという単語が軍事的建築物に使用されたのは疑問が残ります。

    2.西方ローマ帝国と東方ローマ帝国との軍事的建築物の表現について
    お宝探求 <7>2-1 RICカタログ mint別 建築物の記述一覧 を参照比較しますと
    西方ローマ帝国と東方ローマ帝国とでは
    ・enclosure とcampgateの発行時期が異なる
    ・gatewayとarchwayの単語の使い方が異なる
    ・各mintの執筆者によって異なる
    というような傾向が見られます。
    RIC7巻とは違い建築物表現に一貫性が欠けているということが言えます。意図的に西と東を区別したとは考えにくいのです。執筆者により差異がでたのではないかと。

    3.ディオクレテアヌス帝の軍事施設(パルミラの遺跡)    
    アウレリアヌス帝に反旗を翻したパルミラの女王の宮殿のあとに
    ディオクレテアヌス帝は305年城砦を建設しました。
    パルミラ遺跡の西方に位置しますが現在は形をほとんど留めていません。
    軍事施設の中で次の碑文が発見されています。
    記述されているカストラはラテン語です。米国語に翻訳の場合はcampと表現されます。
    [Reparato]res orbi sui et propagatores generis humani dd. pp. Diocletianus [ ] [invictis]simi impp. et Constantius et Maximianus nobb. Caess. castra feliciter condiderunt [curam age]nte Sossiano Hieroclete v[ir] p[erfectissimus], praess. provinciae, d[evoto] n[umini] m[aiestati]q[ue] eorum.
    ラテン語の日本語訳
    我々の支配者ディオクレテアヌス、コンスタンティウス、マクシミアヌス、ガレリウス帝は、
    行政区の知事ソシアヌス・ヒエロクレスの協力のもと首尾よくカストラ(ディオクレティアヌス城砦)を築きました。

    単語の解釈
    カストラは「古代ローマの要塞」、「古代ローマの砦」、「古代ローマの野営地」という解釈が適用されていますがテトラルキアからコンスタンティヌスの治世では「古代ローマの野営地」という言葉は適切ではないと判断しています。
    英語的には
    「古代ローマの要塞」-----Fortress(要塞)
    「古代ローマの砦」-------fort(とりで)